三匹の猫

生まれた時から猫と暮らす筆者が送る猫ばか日記。

ニッチな猫

ニッチって....知ってます?

 

 最近、「ニッチな感じだね」とか「ニッチだね〜」とかよく聞くけど、なんか人に聞きづらいから自分で調べてみた。

 

こういう、よく意味がわからない言葉を使っちゃう人って何なんだろうかと思うけど、自分も意味を知ってしまったら「何だかニッチだね〜」とか使うんだろうな。

 

 ニッチニッチとよく聞くと、いつもどーしても芸人のニッチェを思い浮かべてしまって余計意味がわかんなくなっていたんだけど、しかしどうやら「ニッチ」も「ニッチェ」も同じらしい・・・。

 

 もしも言葉の意味がわからなくても、使い方としては「ニッチだね〜」とみんなが使っているのだから、その言葉は形容詞なんだろうなとか思って適当に「そうだね〜」と言っておけば話はすんなりと流れるだろう。

 

「あ〜、それはニッチなんだね。」と納得しておけばいいのだ。

 

だから、意味を知っていなくたって飲み屋での会話は問題ない。

 

ただし、「君、ニッチだね〜!」はどうもしっくり来ない。

 

 「ニッチ」と言う表現は建築関係の人の間でよく使われる。

 

建築関係者は、家を建てるときにニッチを作る。

そのニッチは何かと言うと、「壁に埋め込まれたような飾り棚」。つまり「ウォールイン飾り棚」だ。

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家の中のこの窪みの部分がニッチであり、

このニッチがあるおかげで花を飾ることができるという優れた設計だ。

なぜなら余計な棚なんかを買わなくて済むのだから。

 

まぁ、優れているかどうかは設計者の手腕にかかっているだろうが・・・

 

このニッチ(壁の窪み)をふまえると飲み屋の会話での「ニッチだね〜」は何か違和感を覚える。

「まるで家の中の窪みみたいだね。」

 

 

「は??」となるだろう。

 

もしも、ニッチという言葉の意味はなんなんですか?と問われたら、実は「ニッチというのは隙間ということを意味します。」と大きくとらえた意味で説明される。

 

確かに、家の中のニッチは隙間を有効活用した設計だ。

 

ここ最近の飲み屋でビジネスマンから繰り出されている「ニッチ」はこの隙間という意味合いが強いだろう。

 

そう、「隙間産業」だ。

 

大企業が目を向けない専門的で細分化された市場や、誰も気が付かなかったような市場を掘り起こしてビジネスをする事を隙間産業という。更にはそれを「ニッチ市場」と呼ぶ。

 

だからビジネスマン同士が飲み屋で会話するのをよく聞くのだ。

 

「それはニッチなところに目を着けたね。」と言うような会話が繰り広げられる。

 

僕はこの記事で「ニッチ」というニッチな話題を一生懸命説明しているニッチな存在なのである。

 

 

  しかし、「ニッチな猫」というタイトルに仕立て上げるには実はまだ足りていない。

 

ニッチはもう一つ重要な意味を持っている。

 

「生態的地位」だ。

 

読んで字の如く、生態系の中での地位、役割という意味である。

 

我々人間の生態的地位、植物の生態的地位、猫の地位。。。

 

全ての存在にニッチはあるはずで、役割があるはずだ。

 

この事は、文章だけではなかなか重要さを伝えるのが難しい。

 

 

 先日亡くなってしまった僕の愛猫の生きていた意味はなんだったのだろうと、亡くなった時から考えていた。

 

動物病院の外に捨てられていた猫の里親として引き取ったその猫は、今まで飼った猫の中でも一番心の距離が近かったように思える。

外に出して遊ばせる事はない家猫で、ずっと僕と妻の側で生活していた。

 

名前を呼べば返事をし、「おいで」と言えばどこにいても走って来て喉を鳴らした。

 

家を留守にすると色んなところで粗相をして、愛情を表現していた。

 

ある日突然具合が悪くなり、2ヶ月の闘病生活の末に苦しんで亡くなってしまったその猫の最期を看取った時、深い悲しみに包まれた。

 

息をするのが苦しそうで、最期の一息は咳払いのようにやっとこ肺から息を出して死んでいった。

 

苦しそうだから、右手を握ったら、握り返してきた。そのまま動かなくなった。

 

握り返した猫の手はその形のまま固まり、死んでしまった事を現実と思えなかった。

 

 

小さな家がその猫にとっては世界の全てで、それは果たして幸せだったのだろうか。

 

車が行き交う危険な外の世界で生きて行かなかったのは幸せだったのか。

 

毎日のご飯は美味しかったのか。

 

僕たち夫婦と過ごせて幸せを感じていたのだろうか。

 

小さな猫が僕にとってはとても大きな存在で、心を支えてくれていた。

 

色々な感情と思いが次々と浮かんでは消え、、、悲しい気持ちが押し寄せていた。

 

なぜ最期があんなに苦しそうだったのだろう、、、、、

 

 

 「ただそれだけなんだろうか?猫の存在というのは。」

 「飼っていた猫はただそれだけの意味しかないのだろうか?」

 「亡くなった猫は地球上で生命活動を終え、営みの何かを担ったのだろうか?」

 

答えが見つかるわけもなかった。

 

だからせめて、僕にとって素晴らしい何かを残してくれていると考え、その何かを受け取り生きていく事で、猫の存在価値を見つけようと思った。

 

世界にとってはもの凄いニッチな存在ではあるが、そのニッチを活かすことで宇宙や地球の営みにいい影響が出るように、僕が見つけてやろうと思った。

 

ニッチな猫が僕に与えてくれた悲しみで、、心を少し大きく強くしてくれた。

 

ニッチな猫のおかげで、悲しみという感情が人を大きく成長させることに気が付いた。

 

「慈しむ」とはこういうことかと、心のそこに刻み込まれた。

 

生命は生まれた時に死ぬ事が決まっている。

時間は止まる事はなく、「死」まで動き続ける。

 

有名な誰かの言葉で「神は細部に宿る」というのがある。

 

ニッチな存在にこそ愛は必要だ。

 

だから僕はニッチな猫に教えてもらった悲しみと慈しみの心に愛を注いでみる事にする。

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